無準禅師墨蹟聖一国師紙本墨書,縦32.1 横100.6,南宋時代淳祐2年(1242),松平直亮氏寄贈
聖一国師(円爾弁円)が,その師無準師範(1177-1249)のもとを辞して帰国した翌年の淳祐2年2月,無準の住する径山万寿寺が炎上の厄にあった。博多に承天寺を創建しその住持となっていた円爾は径山炎上の報をうけると,当時日宋貿易に従事していた豪商謝国明の協力を得て,復興資材として板千枚を寄進した。謹直な趣を示す本幅はそれに対する無準師範の礼状で,その因縁から「板渡しの墨蹟」と呼ばれ世に珍重されている。松平不昧公旧蔵品。
圜悟克勤筆紙本墨書,縦43.9 横52.4,北宋時代宣和6年(1124),松平直亮氏寄贈
宋代禅林の巨匠圜悟克勤(1063-1135)が,その法嗣の虎丘紹隆に与えた印可状の前半。全文の記録される『圜悟仏果禅師語録』によると,墨跡の末尾には宣和六年(1124)十二月の款記があったが,伊達政宗の所望で半分に切断され,後半が伊達家に渡ったとされる。現存最古の墨跡で,圜悟克勤の禅林史上の重要さとあいまって,古来墨跡の第一とされてきた。本幅は薩摩坊ノ津海岸に漂着したことから「流れ圜悟」の異称がある。大徳寺大仙院,堺祥雲寺伝来。のち松平不昧公の所蔵となり,永く同家に襲蔵された。